2017年12月31日日曜日

SIKAのおはなし前編


いつぞや言った様に、私の生家は農業を営んでいる。
小高い山の麓にその田畑があった。

あれは、いつのことだったかな……。


兄と私と妹と糞弟(リヒャルト)の四人は、学校の宿題を済ませもせず全員で遊びに出掛けた。

今憶い出してみてもあれは、とても迅速な行動だったと思う。
親から『早く畑手伝え!』と言われてしまう前に、家の玄関へ向かってランドセル四つを投げ入れすぐさまの出発だった。
誰にも見つからなかった。

目的地は山。

この小さな大冒険の発案者は私の兄だ。土曜の午後、小学校からの帰り道で出くわした兄と私は、一緒にてくてくと歩いて帰っていた。
「また土日がやってきたなぁー……」
「まったくだぁー。しんどい……」
週末休みなのにしんどい。
私たちにとっては重い会話をしつつ、遠く姿が見えてきた家とその田畑をげんなりと眺めながらの、下校時間。


土曜日は学校帰りの半日、日曜日は昼間の全ての時間、うちの兄妹は全員農作業を手伝わされる。平日の放課後も勿論そうだ。
それを喜ぶ子どもなど居ないだろう。
親への育ててもらってる感謝があろうと、毎日毎日こき使われることに辟易してしまうのは致し方ないというもの。
そして子供というものは大人と違い、ストレスの奔流が堰を切る前にドバッと開放する術を知っている。

そう。
何もかも無視して遊びに行ってしまうという暴挙が、出来てしまう存在なのだ。

デメリットは親からの拳骨くらいなのだから。

「山へ行こうかぁー」
兄が片手にぶら下げるランドセルを膝で蹴り蹴りしつつ弄びながら、そう言った。
「手伝いサボって?」
私もランドセルの肩紐の長さを調節する振りをして、その実弄びながら、そう応えたのだ。
「うんー」
「それはいいなぁー」
止める者など居ない帰り道。
兄と私とはあっという間に話がまとまり、それは直後に出逢った同じくげんなりと下校中の妹弟とも同じことだった。


私たち四兄妹の企て。

それは、
手伝いをサボり親やジジババやアルバイトさん達が一生懸命働いている畑の横をコソコソと横切って、いつも私たちの目の前に在り続ける山へと息抜きに向かってみようという大作戦だ。

私たちのいつものサボり場というのが、逆方向にある『弩』でかい川であったから、こちら側の山に分け入るのは初めてのこと。

とてもワクワクしていたのを今でも覚えている。
※注意:どでかいの『ど』は、『弩』ではないよう念のため(; ・`д・´)b

そう、ワクワクしたのだ。

出発した時点では、とても楽しいことに思えた。

大人たちの目を掻い潜り見事に畑を脱出した、と当時は思っていたものだが今考えると単に見逃されていただけかも知れない。

毎週の仕事から解放された四人の子どもは意気揚々としていた。

ずんずんと山を登っていく私たち。
振り向けば自分たちの日常を閉じ込める農村が、どんどん小さくなっていく。木々の隙間から辛うじて観えるだけの、ミニチュアのような“近所”たち。

小さな川を見つけた。

とても小さな川だ。

葉や枝の擦れる音に混じる、水がサラサラと流れゆくせせらぎ。
鬱蒼とした森の中の急斜面に流れる、その小さな小さな細い小川。木々の根元に埋もれる岩のその隙間から、流れ出る水の幅は五十センチほどしかなく、深さも無い様なものだ。


川のミニチュアだ。

そんなものでも私たちにとっては楽しい発見だった。その小川の流れに我先にと命名しようとして、兄はなんて名前を付けたんだったかな。私はなんて名付けたんだ。妹は、リヒャルトは……流石にそこまでは覚えてない。
兎に角私たちが水遊びに飽きる頃には、その小川は水の流れ先が変わるほどに無残な姿と化していた。

山を登っていく。続くのは森ばかり。
たまに朽ちた祠のような、四角く加工された石なども見た。でも、全ては深い森に埋もれていた。


大自然だけが、その山を支配していた。

弟のリヒャルトが『不安になってきたから帰りたい』などと興ざめな呟きを洩らし始めてから、一時間くらいだろうか。

山の中腹に森が拓けた広く長い広場があり、そこにまた川があった。今度は先ほどの小さなやつとは違い、大きな大きな太い小川だ。
幅は四メートル以上。
深さはちんぽくらいまでだろうか。
森の奥深くで迷子になるかもと正直私も不安に思い始めていたのだが、この場所に着いたことでそれは解消された。

この木々のない細長い区画は、家からでも観える場所だ。自分の座標を確認し、私は落ち着いたのだ。

山の斜面にある森を、わざと切り倒している地帯。
防火帯(ぼうかたい)と呼称される、山のハゲラインだ。

予め可燃性の木々を伐採しておく。こうして上から麓まで帯状に切り倒しておくことで、山火事の延焼をハゲのラインで防止するためのもの。

『こんなに森を無残に伐採して!』
などと浅はかな自然保護団体の人は言うかも知れないが、自然を正しく守るための知恵であり、農林水産省が管理している仕事だ。

その防火帯はそれまでの私たちにとって、畑から見上げるだけのものだった。
自らの足でやって来たのはもちろん初めてで、えらく興奮したものだ。

そして小川。

山の中腹が凸凹と盛り上がっており、この川はその影になって、下の畑から見えなかったものだ。

こうして此処へやってきて初めて、防火帯の途中に川があると知り得た。
なるほど川からは家の畑の方角が小さな丘に隠れて見下ろせない。

その大きめの小川が、防火帯をあっちからこっちまで流れている。
信じられぬほど透明な水が、東から西へと緩やかな水流を運んでいた。

聴こえる水音の擬態語は、やはり『サラサラ』が最もイメージに合うのだが、先ほどの小さく浅い幅狭の小川よりも、こちらの太く深い大きな小川のほうが桁違いに大きなボリュームの『サラサラ』を発している。

「なんで傾いてない平らな場所なのに、川流れてるのぉー」
「……分かんない。勢い?」

「違うよ。分かんないけど」
「分かんなくても取り敢えず違うって言ってみるのやめなよ姉ちゃん」

やんやと初めて見るその川について、兄妹で飽きることなく語り合う。

川とも呼べぬほどの小さな水の流れを見た時などより、とても興奮していた。
私たち四人は川遊びに飽きてから、次いで木登りも楽しんだ。

登ったらまた見えてきた生家のほうへ向かって、手を振ってみたり。
遥か遠く見える我が家のほうでは、点としか見えぬ十人ほどが、畑仕事に励んでいる。
あちらからすればこちらは山の中腹にある点の四つでしかないのだから、いくら手を振り回したところで気づいてもらえるはずもない。

何よりも、大人たちは忙しそうだ。

また小川で水びたしになるまで遊んでから、自由な四兄妹はなお頂上を目指す。
しかしそこからすぐの森の中で、私はウンコがしたくなった。

……放尿芸くらいなら兄妹の前でも可能である私なのだが、流石に大きなほうともなると話は別だ。見くびらないでくれ。それくらいの羞恥心は、既に持ち合わせていたさ。

私は防火帯の長広場まで戻った。

兄妹たちは少し進んだ森の中で待たせてある。


綺麗な川の真横で、周囲を美しい森に囲まれながらの野糞。


気持ちいい……。

しゃがんだ私から、
次々と放たれていく。


綺麗な水面を湛える川の、
すぐ真横の、
大自然そのものである土と草と小虫たちの上へと、
あたたかな茶色が、

太くて長いスティックが、
私の食べた物たちの残骸が、

迸っていく。
そう……
自然の一部となるべく還って逝くのだ。


拝める何もかもが、景勝の地。
感ぜられるのは、あたかも神との一体感か。


嗚呼、気持ちいい……。

下腹部から伝わる高揚感。
黄門から漲る印籠感。(;╹д╹;)?
山の素敵な景色から醸される開放感。
齎される全てによって、私の五感は喜んだ。


気持ちいいのは、そこまでだった……。

私は、三つの困った事柄に、直面してしまったのだ。
しかもその三つは同時にやってきた。


その一。
私は紙を持っていなかった。

その一。
ふざけた弟リヒャルトが、私の野糞シーンを見学しににやってきてしまった。

その一。
大きな小川を挟んで向かいから、野生の鹿が、こちらへ闊歩してくるではないか。



拭けぬ。立てぬ。逃げられぬ。


果たして無防備な私は、このトリプルな危機から、見事生還せしめ得ることが可能なのであろうか。

それとも死ぬのであろうか。




待て次回。







次回【SIKAのおはなし後編】冒頭


貴方は――

野生の鹿というものを……観たことがあるだろうか。

あの恐ろしい後ろ脚を……御覧じたことはあるだろうか。





☞[SIKAのおはなし後編]


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